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無料でUZUZのキャリア面談を受ける丸の内OLとは、どこからどこまで?意味や定義を徹底調査!
「丸の内OL」は、昭和後期から使われるようになった造語です。
そもそもどこからどこまでが「丸の内」なのか?丸の内OLは何を指すのか?
この記事では、丸の内の歴史と共に「丸の内OL」の意味や定義についてまとめました。
丸の内OLとは?どこからどこまでを指す?
丸の内OLは造語なので、決まった意味や定義はありませんが、歴史や現在の使われ方から判断すると、
丸の内OLとは…「丸の内・大手町・八重洲・日本橋・京橋・有楽町」にあるオフィスで働く女性
を意味することが多いです。
丸の内OLの働く場所を地図で詳しく見ると、こんな感じ↓
赤い線で囲われた部分にある会社に勤める女性を「丸の内OL」と指すことが多いです。
ただ実情としては、住所が丸の内・大手町あたりで働く女性が丸の内OLと言うでしょう。
範囲としては日本橋や京橋あたりまで丸の内エリアです。
丸の内の歴史について
現在東京には「丸の内」という駅はありませんが、東京駅の住所が「丸の内1丁目」にあります。
丸の内(まるのうち 、英: Marunouchi)は、東京都千代田区の町名。(中略)
隣接する大手町・有楽町・八重洲・日本橋・京橋とともに、日本最大のビジネス街を構成している。
「wikipedia:丸の内」より引用
「丸の内」自体は東京駅の西側にある町名になりますが、「丸の内OL」の場合の「丸の内」は、ビジネス街全体を意味しています。
江戸時代の丸の内
丸の内周辺を歩いていると、街中で「この付近の江戸時代」という昔の地図を見かけることがあります。
こちらが江戸時代末期の丸の内周辺です。
中心にあるのが江戸城(現在の皇居)で、その周りに仕える大名(親藩・譜代大名)のお屋敷がありました。
地図上で丸が描かれているのがわかると思いますが、丸の内側なので「丸の内」です。
江戸時代の「丸の内」は、外堀で囲われている「武士の街」だったのです!
その後オフィス街へ生まれ変わる
明治維新以降の丸の内は、陸軍練兵場として利用されていましたが、練兵場が場所を移転してからは、さびれて行ってしまいます。
そこで政府は開発するために、土地の売却を図り、最終的に三菱がこの土地を手にしました。(今でも三菱は「丸の内の大家」と呼ばれるほどです)
そして1894年に、最初のオフィスビルとして「三菱一号館」が建てられました。(現在の三菱一号館美術館は、このビルを復元したものです。)
この時、三菱がモデルにしたのが「ロンドン」だったため、赤煉瓦造りのビルが多く建設されました。
ちなみに現在は、西新宿にある東京都庁ですが、かつてはこの丸の内にありました。開発したい街に役所が建築されるのはよくある話ですね。
こう見ると、江戸時代の中心とも言える丸の内に、大企業が集まるのも納得ですよね。
OLの意味や定義について
次にOLの意味について見ていきましょう。
OL(オーエル、office lady の略)は、会社勤めの女性事務員を意味する和製英語
「wikipedia:OL」より引用
「OL(オーエル)」は、1963年に週刊誌「女性自身」が公募により、「新しい時代の働く女性」を指す造語として、読者投票によって生まれた言葉です。
当時の女性は、事務職に就く人が多かったので、意味的には現在の「一般職」を指していたと思われます。
しかし、現在では「一般職」を「地域総合職」と名称を変更している企業もあり、OLというと働いている女性を意味することが多いです。(そもそもOL自体もあまり使われる言葉ではありませんが…)
なので、「丸の内OL」=「丸の内あたりのビジネス街で働く女性」を意味していて、職種による差はあまりないでしょう。
丸の内OLは一種のステータス!?
雑誌でも「丸の内OLの着こなし」・「丸の内OLの真実」などと数々の特集を組まれているだけあって、「丸の内OL」はいつしか一種のステータスにもなっているようです。
確かに江戸時代では大名のお屋敷があり、現代では数々の大企業が本社を置く「丸の内」なので、憧れの地となるのも頷けますね!
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